2026年5月26日(火)、地域活性化勉強会&交流会を開催しました。
今回の登壇者は、お隣の所沢市を拠点に、まちづくりのキープレイヤーとして多方面で精力的に活動されている一般社団法人まちつくり所沢 代表理事/株式会社ジモネット 代表取締役の平山 毅さんです。
街バル「ソラバル」や大型商業施設でのカフェ運営のリアルなお話、そして持続可能なシェアキッチン「椿峰(つばきみね)キッチン」の挑戦から、地域課題をアイデアで解決する小ワザ集まで。狭山をさらに盛り上げるヒントが詰まった情熱あふれるお話を、当日の熱量そのままにレポートします。

地域活性化勉強会&交流会とは
| 日時 | 2026年5月26日(火) 18:30~20:30 |
|---|---|
| 会場 | 狭山市産業労働センター 異業種交流スペース 〒350-1305 埼玉県狭山市入間川1-3-3 |
| 登壇者 | 平山 毅 氏(一般社団法人まちつくり所沢 代表理事 / 株式会社ジモネット 代表取締役) |
| 進行 | 星野 邦敏(狭山経済新聞 編集長 / 狭山まちづくり共同事業体) |

星野さん
皆様、お時間になりましたので、ただいまより5月の地域活性化勉強会&交流会を開催いたします。本日司会・進行を務めます、当施設の指定管理事業者である狭山まちづくり共同事業体の星野邦敏と申します。私は当施設の管理・運営を行うと同時に、Yahoo!ニュース等にも地域の街ネタ情報を日々発信している「狭山経済新聞」の編集長を務めております。取材のご要望などがございましたら、ぜひお気軽にお声がけください。
この地域活性化勉強会&交流会は、狭山市内や周辺地域、埼玉県内で町おこし活動に取り組む素晴らしいプレイヤーの方々をお招きし、その実践談から自分たちの街で取り組むヒントを得たり、事業者同士が出会い・繋がることで地域をより活性化していくことを目的に毎月開催しております。本日は、お隣の所沢市を盛り上げている一般社団法人まちつくり所沢 代表理事であり、株式会社ジモネット 代表取締役の平山 毅さんをお迎えしました。私自身、平山さんとは10年以上前からの知り合いで、所沢のキープレイヤーとしてずっと注目してきました。本日の講話と質疑応答、その後の交流会を通じて、皆様の活動への大きな一助となることを確信しております。

平山さん
改めまして、平山 毅です。本日は「盛り上がる所沢の実践者が語る!街バル、公園カフェ、シェアキッチン…その挑戦から狭山市を盛り上げるヒントを考える」というテーマでお話しいたします。少し偉そうなタイトルに見えるかもしれませんが、決して所沢が盛り上がっているから狭山市にアドバイスしようとか、狭山市が盛り上がっていないと言うつもりは毛頭ございません。煽り気味のタイトルで都市間競争の関心を惹き、集客につなげようという私自身の企画・提案によるものですので、事務局の皆様に責任はございません(笑)
私自身の生い立ちをお話ししますと、ごく普通のサラリーマン家庭の出身です。育ったのは神奈川県川崎市にある虹ヶ丘団地というベッドタウンでした。街の中央に商店街がある、典型的なニュータウンです。父はサラリーマン、母は専業主婦で、中学2年の時に父が同じ川崎市の読売ランド駅近くに家を建てました。大学は東海大学を卒業し、出版の制作会社に就職しました。
当時、私が関わっていた週刊プレイボーイは発行部数が60万部を誇り、日本で最も売れていた青年週刊誌でした。周囲の先輩記者のレベルは非常に高く、サッカーや野球などのメジャーなジャンルには確固たる実力と人脈を持った編集者・記者がいました。若手の私はマイナースポーツや誰も手を出さない新ジャンルに挑戦するしかなく、その中で初期のiモードのブレイクに着目し、iモードの生みの親と呼ばれる女性キーパーソンへの取材を成功させました。これがきっかけとなり、2003年に大手総合商社の伊藤忠商事へ転職し、iモード向けコンテンツの開発・立ち上げに携わった後、IT業界で独立を果たしました。

小さいころ育った虹ヶ丘団地は、以前は1,000人近くの児童が通う大きな小学校でしたが、現在は各学年1クラス、全校で6クラスしかない川崎市で最も児童数の少ない小学校になっています。近隣にはマムシが出るような森や霊園があり、ニュータウンと自然の境目のような場所でした。現在、この虹ヶ丘団地や、後ほどお話しする椿峰(つばきみね)ニュータウンは、一斉に入居が進んだが故の一斉な高齢化と老朽化という大きな課題に直面しています。狭山市の狭山台団地や広瀬台などのニュータウンとも共通するこの課題意識が、私の活動の原点になっています。なお、私が子供の頃に秘密基地を作って遊んでいた空き地は、現在東急電鉄様が街づくり拠点や家庭菜園として再開発を行っており、郊外ニュータウン再生の象徴的な場所になっています。
その後なぜ所沢へ移住したのかと言いますと、当時観た『「もののけ姫」はこうして生まれた』という6時間40分におよぶドキュメンタリー映画に深く感動したことがきっかけです。宮崎駿監督が三鷹ではなく、所沢の秋津駅近くに住んでいることを知り、「同じ街に住めば、自分も少しは立派なクリエイターになれるかもしれない」と考え、実家を出て所沢へ引越しました。
所沢へ移住後は株式会社ジモネットを創業し、約20年間にわたり地元密着のホームページ制作事業を展開してきました。その過程で地域活動に深く関わるようになり、個人としては総会員数約3万人規模の「フェイスブック所沢会」の管理人や、飲食店を食べ歩く街バルイベント「ソラバル」の実行委員、さらには毎回5名が登壇し20回で合計100人の市民プレイヤーを可視化する「所沢市100人カイギ」の運営などを手掛けてきました。企業としても西武鉄道様との「西武つなぐプロジェクト」(練馬と所沢の2箇所のみ選出)に取り組むなど、まちづくりを本業に据える活動を広げてきました。
